音楽好きの世迷い言
The melody at night, with you
最近聴いている音楽 vol.75~バッハ・フランス組曲第5番~
2018-02-13-Tue  CATEGORY: 雑多な話題
ピアノの先生をしている女性と結婚するのが夢だった。



・・・しかし、夢は現実と違った。防音室でグランドピアノを前に、美しい音楽について夫婦で語り合う。そんなことは結婚以来一度もしたことがない。大体が、夫婦の会話にクラシックのピアノ曲が上ることすら年に数度しかない。オタクはその筋の専門家と結婚しても幸せになれないのか?…まあいい。今日はそんな私の悲哀に満ちた日常に現れた、ごく稀な機会についてお話ししよう。


嫁が「フランス組曲5番の演奏は誰のを持っている?」と聴いてきた。飛んで火にいる夏の虫、こんな話題を私に嫁自ら振ってくることはほとんどない。途端に饒舌になるのが気持ち悪くて仕方ないらしい。いつもノソノソ動く私が、秒速2mでキビキビ動くのはレコードをかけ替える瞬間だけだといつも皮肉を言う。


兎も角、「いちばん好きなのはシモーヌ・ディナースタインのライヴ、次にアンデルジェフスキ、模範的なのはシフかな。グールドは嫌いでしょ?」とベラベラ喋ると、案の定「キモい」と言われた。気を取り直してディナースタインの『ベルリン・コンサート』を聴かせると、「悪くはない」。左手が好みでない、とも言う。続いてアンデルジェフスキを聴かせると、「装飾しすぎ」で、「音が違う。楽譜はなんの版なの?」と聴いてきた。オタクにそんなことは分かる由もない。「散々聴いているのに音の違いも分からないの?違和感ないわけ?これだから弾けもしないオタクは…」と文句を言いはべる。オタク男は黙って耐えるのみである。シフはPCに埋もれているはず、と言うと、「聴いたからいい」と言う。じゃあ何がいいんだ、と嫁に問うと、



「シフの最近の演奏が凄いのよ」



と言う。はっきり言って、私の方が彼女より10倍は普段から寸暇を惜しんでピアノ曲を聴いているはずだ。正直、今更シフ?と思った。しかもその上、youtubeに上がっているコンサートだという。悪いけどシフはもうおじいちゃんだし、ライヴに期待なんてできるんかいな、と反論しつつとりあえず言われるがままに観てみた。


これが凄かった。


ディナースタインと比べるとちょっと味付けは物足りない感じはするけど、(私の考える)正攻法でまっとうな感じのバッハを弾いてる。どの声部もきちんと丁寧で、特に左手の雄弁さがいい。派手さはないが、しみじみと曲の良さが伝わってくるタイプの演奏だ。何より、映像を見ると完全に脱力しきった運指が凄まじい。今はほとんど弾けない私だが、かつてピアノを嗜んだ者の一人として、この凄さくらいは幾らなんでも分かる。なんだか悔しいので、私の好きなガヴォットは出だしのテンポがノロめで溌剌さがない、と粗探しをしたら、「徐々に速まるし、前楽章との一貫性よ!」と言う。グールドは楽章だけでなく、一曲を通してテンポ、彼の言うパルスを統一してだねえ、と言いかけて止めた


さて、嫁は最近有名なピアノ講師のレクチャーに通い始め、その先生の言葉通りにシフが弾いていたことに感銘を受けたのだと言う。具体的に言うと、映像の7:15辺り、左手で音階を下りていく箇所でわざわざ指を入れ替えて弾いている。「4の指が適切な音色を表現するのに適した指なのです」とその講師は言ったという。まさにシフがそのように弾いていたので、「あの先生の言うことは間違っていない。凄い人なんじゃないか」と思ったとのことなのだ。本当にスゴいピアニストは、アンタみたいなオタクがつまらないという地味な緩徐楽章での歌い方、音色の磨き方に全てを賭けるのよ、みたいなことを嫁は言った。「若い頃のシフの演奏はダメ。指も回りすぎだし、派手で丁寧さや奥深さに欠ける」とものたまった。なるほどな、と思った。その観点からすると、確かにシフのこの演奏は(8年近く前のものだが)素晴らしい。次がその演奏である。





こんな風にごくごくたまーーーーーーに結婚してよかったな、ということが年に数回だけある。読者の皆さんとも感動が共有できたらと思う。陳腐なセリフで恐縮だが、齢を重ねた円熟の境地にあるシフのこの演奏、是非ご覧頂きたい。
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ローラン・ビネ 高橋啓訳 『HHhH プラハ、1942年』
2018-02-04-Sun  CATEGORY: 読書
私にとって、日常生活で最も贅沢な時間の使い方は、映画を観ることである。


映画館は元より、家でDVDを観るにしても、2時間という途方もなく長い時間を、一度の中断もすることなく映画のみに没頭するというのは子どもが生まれて家庭がある現在、どう考えても不可能に近い。実際、ブラックな職場で働いていたここ数年は家でも外でも映画を観た記憶が無い。学生時代はTSUTAYAで借りてきて年に100本くらい観ていたが、これに音楽も加わっていたのでまあ廃人同然だった。

次に贅沢なのは本を読むことだ。特に仕事に関係のない長編小説を読むのは中断しても映画ほどのダメージはないものの、物語の臨場感を保ちつつ内容の忘却を避けるためにも読み切るまでに間をあけたくない。空き時間があるとどうしても音楽、特にレコードを聴くのを優先してしまう。そのため読書もここのところ出来ていなかったが、転職して時間が出来たので最近ようやく再開できた。超絶ミーハーな私は、ノーベル賞を受賞したカズオ・イシグロの『日の名残り』『私を離さないで』を続けざまに読んだ。『日の名残り』はアンソニー・ホプキンス主演の映画を観た記憶があったが、完全に内容を忘れていた。『私を離さないで』は、2016年にTBSでドラマ化されていたのを嫁が観ており、私はドラマを一切見ないのだがその時は「気持ち悪い話だな」と思った記憶がある。両作ともしみじみとした人生の哀しみを感じつつ深く感動することができた。

そんなわけで、読書の時間ができたのをいいことに、もっぱら古本ばかりをブックオフに通って買っている。昨日奇跡の夕方出勤(むしろ休ませろという話)があったので、1日で読んでしまって感激したのがこちらの作品。

HHhH

本屋大賞作品なら外れがないと思い、ミーハーな私は買ってみた(1560円で定価より1000円安かった)。帯から内容を引用しよう。


「ユダヤ人大量虐殺の首謀者、金髪の野獣ハイドリヒ
彼を暗殺すべく、二人の青年はプラハに潜入した。」


・・・恥ずかしながら、実は私は世界史未履修世代の1人である。私の出身高校では社会で必修のはずの世界史を理系では履修せず、未履修のまま卒業したのだ。この問題が発覚した当時、母校のHPで「世界史は適切に履修しています云々」と記載があり、8年ほど前に卒業した我々への謝罪は一切なかった。酷い話だ。兎も角、世界史は池上さんの本で読んだくらいしか知識の無い私は、これが史実であるとは途中まで知らず、「なんだか変な書き方だな」と違和感を覚えながら読み進めた。この小説がほんとうに変わっているのは、訳者の解説から引用すれば「小説を書く小説」だということである。作者は徹底的な時代考証を行い、資料を集め、その上で史実を土台にした一切の創作を可能な限り排除しようとする。登場人物の会話も「これは想像」と書き添える徹底ぶりだ。このノンフィクションを書き上げる過程を、作者の一人称で、時に自分の父親やガールフレンドも交えながら語り続ける。創作を交えた他の作品を容赦なくこき下ろしている箇所もある。極めて大雑把に言えば、執筆のありようがつらつらと書かれているブログを読んでいるような、不思議な雰囲気の作品である。過去と現在の織り交ぜ方が巧みで、構成は大胆かつ劇的、暗殺を狙う襲撃へ物語は収束していく。その反面、作者の独り言も多く、私にはまどろっこしく感じる。正直、3割以上削った方が引き締まった作品になったのでは、とも思う。


それでも読み終えて感激したのは、やはりこれが史実だということである。わずか80年程前の、人間世界の途方もない凄惨さには目を覆いたくなる。ナチスについては、(これもベタだが)V・フランクルの『夜と霧』『死と愛』及び周辺作を読んで人並みに知ってはいるつもりであったが、ひとつの具体的な史実を多角度から深く掘り下げて読んだのは初めてだったのでただただ衝撃であった。ハイドリヒ襲撃で母国のために殉じようとした青年たちの物語は平和ボケしている私の心を強く打った(ちなみに私はこのブログではノンポリを貫きたいと思っている。勿論、政治信条は強く持っているが)。


史実に忠実と書いたが、読後にウィキペディアで調べたところ、この本に書かれているのと違う記述がいくつかあった。ネタバレを避けるため白文字で以下に書く(PCでは逆に目立ってしまうのでご注意)。


・最後の教会での立てこもりの戦闘は8時間と本に書いてあるが、ウィキには2時間とある。

・本では「最後の弾をおそらく自害のために使った」と書かれていたが、ウィキでは服毒したとある。なお、ガブチークの遺体写真の顔には傷がない。



・・・まあウィキペディアの方を信用するのはどうかと思うが、ちょっと気になったので書いてみた。最後に完全な蛇足だが、憶測によって事実を置き換える瞬間への恐ろしいまでの執着、細部への極めて強烈なコダワリ(むしろ作者はそれを強調する)に、最近の私は作者の発達障害を疑ってしまう。うちの子もなにか好きなものを極めてほしいものだ。
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ゴドフスキーのパッサカリア聴き比べ 2018/2/2更新
2018-02-02-Fri  CATEGORY: ゴドフスキー・パッサカリア聴き比べ
Emanuel Delucchi盤を追加(2018/2/2)
Michael Schafter盤を追加(2014/6/22)




本日は私の大好きなゴドフスキーのパッサカリア(シューベルト「未完成交響曲」の冒頭部による44の変奏、カデンツァとフーガ)の聴き比べをご紹介。

この曲はホロヴィッツが「腕が6本必要だ」と言って演奏を避けたという逸話が残っているほどの超難曲なわけですが、シューベルトの物哀しい旋律を基にゴドフスキーが描いた煌く万華鏡のような精緻で美しいテクスチュアが私はたまらなく好きなのです。

現在、私が所有している録音は次の6種類です。いつも通り☆◎○△×の5段階でコメントを書こうと思います。これ以外にご存知の方は是非教えてください。ちなみに特に好きなのは変奏曲部分なので、それ以降のカデンツァやフーガはあまり聴き込んでいません(昔、ネット界では有名な超絶技巧編曲のサイトがあって、そこでは「ゴドフスキーが書いたフーガ部分の凡庸さに失望する」という旨のことが書かれていて、私としてはそこまで言いませんが、断然変奏曲部分が素晴らしいと思います)。また、×を付けたものもありますが、どのピアニストの演奏も、この難曲を弾こうとする気概の感じられる良さがあると思います。


アムラン(旧録CBC、18:47)◎
アムランの名を一躍高めた実質デビュー盤での演奏。打鍵に気迫がみなぎっており、彼としては珍しくごくわずかなミスタッチが見られるなど(3オクターヴの連続跳躍、変奏曲部分の終わり直前等)、この難曲に真っ向から立ち向かうアツい姿勢が聴ける(10年近く前、某掲示板でこの曲のアムラン新旧の演奏について意見が交わされた時、気合いの入ったこちらの旧盤に軍配を上げる人が多かった気がする)。それでも、レジェロ部分の流麗さ、多声部のバランスの良い処理、ブ厚い連続和音の安定感や響きの充実感など、技巧的には他の追随を許さない(頻出する急速上昇音型の鮮やかさなど素晴らしい)。ただ、アムランの他の曲の演奏にも言えることだが、内声を強調するタイプの演奏ではなく、横の流れを重視する彼の特徴が出ており、工夫に欠けるという人がいるかもしれない。また、彼は音楽性の面で薄味に思えることが多いが、(アルカンの曲ほどではないものの)次々と襲いかかってくる変奏の強烈さからか、そのような不満は感じない。

アムラン(新録hyperion、18:43)◎
前人未到、まさかの再録音。Hyperionの(やや残響多めだが)美しい録音にゴドフスキーの描いたポリフォニックな音像が立体的に浮かび上がる。タッチはさらに洗練され、この曲が持つ知的な側面や芸術的な薫りが漂っている。旧盤のような明らかなミスタッチも聴かれず、技巧的にはこれが人間の限界ではないかと思わせる(どう考えても曲のほうに無理がある)。反面、旧録のような熱っぽさは感じないので、デ・ワールやグランテのように直線的でvirtuosity溢れる演奏のほうを好みにする人がいるのは理解できる(実際、ネット上では多いように思う。が、ゴドフスキーの曲の演奏としてはちょっと違うのでは、とも思う)。この曲には個人的に、ゴドフスキー特有の連続する対位法的旋律が変奏曲として次々と移り変わる流れの美しさを重視しているので、その意味ではこの演奏が理想に近い。というわけで、☆印にしてもいいかなと思うが、アムランをもってしても一部の変奏でわずかに不自由を感じなくもない(32分音符の重音トリル部分などで幾分明晰さに欠けるというか、旧盤と比較して守りに入った感じがある)のと、もう少し対旋律を聴かせてもよい(そうすると曲の難度的に横の流れが苦しく聴こえてしまう可能性があるので、一長一短だが・・・)かなと思うので、トータルとしては◎とする。そもそもこの曲を弾く人が少ないので、人間でコレを上回る演奏が出てくるよりも、コンピュータによる打ち込みで人間らしい演奏が先に出てきそうな気がしなくもない。

シチェルバコフ(19:16)×
「シベリアのアムラン」の異名を取る彼だが、随所で苦しさが見える(全体的に音が何か寸詰まりというか、なにか慌てた感じを受けてしまうのがその一因。特に気になるのは、フォルテの連続和音でテーマを奏でる箇所などで、スムーズという感じではない)。それでも誤魔化しがなく誠実に弾いている(スピード感は無いが、32分の重音トリル部分の丁寧さは6種の中で随一)のは好感が持てるが、曲の難しさが伝わってしまうという意味ではちょっと残念。それならばデ・ワールやグランテなどのvirtuosity路線によるリスト的な演奏のほうが面白かったかも(彼はラフ3でもメト2でも生真面目さが出てしまって面白みが無いと思っているが、メト2に併録されている遺作のピアノ五重奏曲の演奏は素晴らしく、愛聴している。ちなみにメト2は激烈なカデンツァが聴けるデミジェンコ盤が好き)。

デ・ワール(16:52)○
速めのテンポでテクニックにもキレがあり、手持ちの中で演奏時間は最短。特に16分音符が連続するレジェロ部分は突進という感じだが、鮮やかに弾ききる。重音トリルからの急速上昇音型や連続和音も迫力十分(右手の連続オクターヴ部分は勢いだけで押し切っているように聴こえなくもない。実際、右手オクターヴが最後の1つを除いて単音に聴こえる)。残念なのは全体的にタッチがゴツゴツしていて洗練されておらず、特に和音は録音のせいもあって響きがやや乱暴なこと(ダイナミックレンジも狭い)。一部で内声を出すなど工夫も見られるが、アムランやシーララの表情豊かな演奏と比べるとどこか直線的で一本調子な演奏に聴こえてしまう。しかしながら、初めてこの曲を聴く人には、実はこのストレートな演奏がいちばんオススメできるかも。その一方でゴドフスキーの曲に立体感や対位法の妙を求める人には向かないかもしれない(特にフーガが平面的な感じ)。

グランテ(17:20)×
全体的に速めでデ・ワールと同路線の演奏だが、さらに名人芸的で荒っぽく綱渡りな感じ。表現の振幅はこちらのほうが大きく、一部の変奏ではヤケになったようにやたらと速いテンポを取る(16分音符で右手が細かく動くところは最速かも。特にバッハ=ブゾーニのシャコンヌ第1部終盤に出てくるような左手のアルペジオがスピード感抜群にきらめいているのはgood)。彼のリストのドン・ジョバンニやノルマの回想などの難曲では無理をしない丁寧な演奏だったので、これはかなり意外(が、その一方で技巧的な問題なのか、丁寧の上にバカが付く箇所もある)。これがリストやラフマニノフの曲ならよいのだが、ゴドフスキーの曲ではもう少し流れや音の響きが整理されている知的な演奏が個人的には好みである。

シーララ(19:18)△
手持ちの中では最長の演奏時間。それは緩徐的な変奏でやたらとテンポを遅しすぎのためであり、急速変奏では まずまず標準的なスピード感を見せている(例の32分の重音トリルも幾分誤魔化し気味だがテンポを落とさず上手く?切り抜けてる)。技巧的にはシチェルバコフより若干上と思われ、タッチもデ・ワールらと比べると洗練されている。内声の強調などもこの5人の中では最も心を砕いているように思えるし、異様に遅いテンポのおかげで苦しさを感じることもなく、随所でゴドフスキー特有の立体的な響きが聴ける。強弱の付け方も上手い。欠点はやはり変奏間のテンポの揺れが大きすぎることと、もうひとつは一部で和音が割れて美しくないこと。録音もナクソスとしては良いほうだが、やっぱりちょっと響きが軽め。全然知らない若手のピアニストだが、今後が期待できる演奏である。

Schafter(16:30)××
初めて聴くピアニストによるゴドフスキーのソナタやジャワ組曲などを収録した2枚組。デ・ワール盤より速い演奏時間で期待と不安が交錯するが、やはり後者が的中。アムラン盤その他と比べると、正直別な曲に聞こえる。他盤で技巧的にいちばん見劣りするグランテ盤よりさらに一段落ちる感じで、良いところを見つけるのが難しい。重音トリルや跳躍部分など、誤魔化さずに弾いてなんとか音にはしている、と言ったレベル。(ゴドフスキーを録音するくらいだから、一流のプロのピアニストなんだろうが)アマチュアっぽいとさえ聞こえてしまうのは、やはり曲の難度が高すぎるためか。多声部では右手と左手があまりにシンクロしていないため、2人で弾いているかのような不思議な魅力を醸し出しているのはちょっと皮肉である。この演奏では、初めて曲を聴く人にその魅力が伝わらないかもしれない。申し訳ないが、グランテ盤その他に敬意を表して初の×2つ。

デルッキ(15:11)×
4年ぶりの更新はこれまた全然知らないピアニストの録音。リストのパガニーニ超絶のフィリペツのような奇跡を聴いてしまったので期待してとりあえずはNMLで聴いてみた(PTNAのシステムが変わってログインが面倒になって出入りしてなかったのだ)。演奏時間はブッチギリで最短の15分で、「全然ダメ」か「史上最高」のどちらになるかと思ったが残念ながら前者だった。タメはほとんどなく曲を通して(ほぼ)インテンポ感が失われないのは凄いが、その分デ・ワールのような迫力というか劇的さに欠ける。重音でのトリルはスムーズという感じでなく、その辺りからどんどん弾き損じが増えていく。時折現れる右手の急速上昇音型も明晰さに欠ける。オクターヴの跳躍も右手の最高音が何度かあまり聞こえず、やはり苦しい。しかし、一番ダメなのはフーガである。せわしなくてなんだか平板で面白みがない。この曲はメカニック的な面での難しさが強調されがちだが、音楽的な面で充実させるのも忘れてほしくない。テンポが速いのが好きな人には薦められるが・・・残念ながら私の好みではなかった。とりあえず評価の近い他盤と並べると、シチェルバコフ>グランテ>デルッキという感じ。


以後も新しいものを入手次第、追加します。
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David Bismuth / Bach編曲集
2018-01-31-Wed  CATEGORY: 音盤紹介
最近はブログを書くばかりで、レビューサイトの発掘を怠っているため、ピアノCD(新規ピアニスト)の情報に飢えている。kyushimaさんの更新も止まってしまったこともあり、信頼できるレビュワーを探したいのだがなかなか見つからない。NaxosでのストリーミングもこのところMacの調子が悪く、Winは諸事情でDACに繋げるのが手間で、なかなか利用できていない(もったいない!)。仕方がないので、財布と相談して自分で近年盤CDをユニオンでチャレンジ購入している。



ダヴィド・ビスマスというフランス人ピアニストのCDである(2009年だからそれほど近年というわけではないが)。バッハ編曲モノには目がないので、全然知らないピアニストだが決断しやすかった。タワレコから収録曲を引用しよう。


J.S.バッハ:
前奏曲とフーガ イ短調 BWV.543(リスト編)
カンタータ 第29番《神よ、われら汝に感謝す》より 序曲(サン=サーンス編)
シチリアーノ(ケンプ編)
シューマン:バッハの名による6つのフーガ Op.60
トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV.564 より アダージョ(ブゾーニ編)
コラール《われ、汝を呼ぶ、主イエス・キリストよ》BWV.639 より コラール前奏曲
シャコンヌ(ブゾーニ編)
マタイ受難曲 BWV.244より 主よ憐れみたまえ(ベッファ編)
前奏曲 ロ短調 BWV.855a(ジロティ編)
ヴィラ=ロボス:アリア


ということで、曲目的にはかなり好みだ。BWV.543は激レアのトッコ盤入手から最近やたら聴いてる気がするが、これがなかなか良い!トッコのようなカッチリした技巧、レスチェンコのブッ飛んだ濃いめの味付けはないが、フーガは5:25でラ・サールやブニアティシヴィリより速いテンポで壮麗に弾き進める。格調の高さというものには欠けるものの、それでもフランス人らしいサバサバしたピアニズム(偏見)が曲にマッチしている。そこからシャコンヌまでの前半~中盤の小曲の出来と雰囲気は結構いい(あまり聴き込んでいない曲のせいもある)。コラールも耳タコな1曲だがなかなか味わいがある。


シャコンヌは13:29で、個人的にちょうど良い演奏時間なので期待してしまう。和音の弾き終わりにやや締まりが無いのが気になるが、かなりのザッハリッヒ路線ながら曲そのものの味わいで勝負している。前半のDmの和音下降で始まる部分はやや劇的感に欠ける。急速部分のスピードは標準的だが、やや間を取りすぎなのと力強さに欠けるのが惜しい。高速アルペジオが連続する短調部分の終盤はスピードこそオピッツの9割ほどで健闘しているが、随所でタメが入り推進力と和音の迫力で劣る。長調の後半部分はいかにもフランス流なサッパリ薄味でサラサラ流れていくものの、どこか清潔感と品の良さを兼ね備えているので印象がいい。再び短調に戻った最終盤ではossiaを弾いている。その後の上昇音型がややモッサリしていて残念。また、全体的に音が軽めなのが不満(録音のせいではなさそう)。とまあ、厳しい耳になって聴いてしまう曲なわけだが、それを考えるとかなり良い演奏。以前書いたグロヴナーの演奏よりは私の好みに近いかな。


そのあとのアルバム後半の曲目は残念ながらイマイチ。原曲にそれほど馴染みがないせいもあるが、なんというか演奏も後ろになるにつれて息切れしてる(わけはないのだが)感じがあって楽しめない。最後のヴィラ=ロボスもわざとなのかもしれないが変なリズムが現れてなんとなく場違いな雰囲気がする。


というわけで、辛口になってしまった曲もあるが、全体としては75点くらいの内容で楽しめた。私の好きなフランクの前奏曲、フーガと変奏曲も録音しているようなので、今度聴いてみたい。
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FORMULA 3 / LA GRANDE CASA (ITALY original)
2018-01-30-Tue  CATEGORY: アナログレコード
最も好きなプログレ作品は何か?と聴かれると返答に困るが、イタリア限定ならば答えられる。フォルムラ・トレ『神秘なる館』だ。

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(紙ジャケCD。リビングの蛍光灯の下で撮ると黄色っぽくなってしまう…)


大学時代に再発CDで聴いてブッ飛んだ。プログレで前衛的なロックばかり聴くことが感性を磨く最良の方法だと思っていたあの頃、イタリアの抒情溢れる歌心全開のこの作品は、プログレという枠を超えて大のお気に入りになった。イタリアの名カンタウトーレ、ルーチオ・バッティスティの薫陶を受けたメンバーが結成したバンドの4枚目であり、最終作だ。第1・2作はバッティスティの作曲が多かったと記憶しているが、ここでの全曲は完全に彼らのペンによるもの。


1曲目、「ラディウスのラプソディ」、Vo&Gのアルベルト・ラディウスの思わせぶりな美しいアコギの調べから徐々に盛り上がり、激しいストロークを呼び水にしてドラマチックに曲は走り出す。ラディウスのハスキーでソウルフルな歌もいい。2曲目「人口自然」はイタリアのブルースと言った趣きの曲。3曲目「男の自由」もムーディで、シンセとギターが切なく不安げに絡み合い、荘厳なコーラスとバンド演奏の融合で大団円を迎える。タイトルトラックの4曲目「神秘なる館」、前曲同様の構成だが、よりロック的なリフを軸に導火線にジリジリ火が付いていくが、やはり主役は抒情性に満ちた歌だ。5曲目「いとしのジョバンナ」、出だしはほっとするフォーキーなナンバー。途中からバンドでロックに展開するのが彼らの常とう手段とわかる。終わりの6曲目「少女のような君」、ポップなイタリア歌謡という雰囲気でプログレ感は薄め。6曲30分ほどなのが(この時代ではよくあるとは言え)唯一の不満。


ともかく音楽好きならば万人に推薦できる「分かりやすい」名盤だと思う。「劇的」「抒情」「イタリア歌謡(詳しくないので偏見かも)」という言葉がこれほど似合う作品も早々ないだろう。PFMやクエラ・ヴェッキア・ロカンダ、ニューートロルス、アルティ・エ・メスティエリ、ムゼオローゼンバッハ等ドラマチックを売りにするイタグレバンドの名作は多々あるが、最も王道(かつ、わずかにフォーキーな毛色)である1枚に挙げられる。ひょっとしたら、本格的なプログレっシャーの間では物足りない作品なのかもしれないが・・・。尚、彼らのこの他の3枚も実にバラエティに富んだ作品で、この4枚目の抒情を期待すると肩透かしを喰う(やっぱり彼らがプログレッシブロックバンドなのだと再確認させられる内容とだけ書いておこう)。この後、メンバーはスーパー・バンドと称されるイル・ヴォーロを結成、2枚のアルバムを残すが、この「神秘なる館」のような、突き抜けたまでのメロディアスな楽曲はそこにない(率直に言えば、プログレ的にやや取っつきづらくなる)。


さて、そんな愛聴盤はアナログレコードが欲しくなる。私は再発盤、紙ジャケを所有し(その2つの音質の違いは分からなかった苦笑)、いつかはイタリア・オリジナルをと夢見ていたが(再発盤はいしうら氏にプレゼントした)、このほど(というか1年ほど前だが)イタリア原盤を入手した。

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(白い部分が日焼けしやすいがこれは焼けなし)

想像通り音が滑らかで、CDの輪郭のシャキッとした音色も捨てがたいが、アナログのほうが頻出するアコギのきらびやかなキレ味を存分に楽しめる。シンセの高音もマイルドで耳に優しい。ちなみにアナログ盤の価格としては3作目「夢のまた夢」の方が2万overでダントツで高い(1・2作目はあまり見かけない)。

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(ジャケもヴィニルもコンディション良好のためかなりの価格に…DGアリなのがマニア心をくすぐる)


ところがその後、7インチのシングルEPをオークションで入手。


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収録曲は「ラディウスのラプソディ」と「少女のような君」の2曲で、物足りなさは否めないが音はLPを上回る素晴らしさ!LPの音の滑らかさに加えて、存在感というか生々しさというか、音の太さがさらに増す感じ(情報量が多い)。7インチの音質の優位性を改めて感じたのだった。
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